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灰色の手帳 由香里 ―水底から― 第二十九話『蒼光――恥辱ショーへの案内』

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2013 / 06 / 10  Mon
由香里Ⅰ   
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 破滅的な状況だった。

 衣服はない。エプロンすら失い――取りに行くことなどできようはずもなかった――由香里は下着どころか靴下も履かない、丸裸だった。

 濡れた体を拭うタオルすらも、ここにはないのだ。

 ――ねーえ、強がりは結構だけどさ……。

 幻聴のように、トイレにあの声が響く。

 ――気が変わったときのために、降参の合図を教えてあげる

 廊下の窓を思う。駅をまっすぐ見通せる窓。広場にいた京子を見つけた、あの窓。

 考えてはいけないことを、由香里は考え始めていた。

 ――お尻を丸出しにするの。それから、二階の廊下の窓から見えるように、逆立ちを――

 血流が一変に速くなるのが分かった。心臓への鋭い痛みが収まると、体が震え始める。
 やらなければ、ならないのだろうか。

 あまりにも、あまりにも侮辱にすぎるそのポーズを。敗者を惨たらしく辱める、その児戯に、人形のように弄ばれなければならないのだろうか。

 涙は出なかった。こんなにも体の表面がずぶ濡れでも、由香里の体の内側は、何もかもが、砂漠のように乾ききっていた。

 理恵子が窓を眺めているかは分からなかった。あれからどれくらい時が経っただろう。まさか、由香里が根負けするのを待ってずっと駅から窓を見つめているだなんて……。

 由香里は廊下に出た。窓に身をかがめながら近づく。窓の桟に手をやると、顔の右側から、そっと、そっと……。

 光が飛び込んできた。心臓が飛び上がった。

 そのまばゆさ。平凡な明かりのオレンジがかった蛍光色の世界が、こんなにも恐ろしいだなんて……。

 駅には誰もいないようだった。広場も、猫一匹いない。夜の駅前は、まるで、ジオラマのようだった。

 由香里はその場にぺたりと座り込んだ。
 そして、手を膝の前の床についた。つるつるした素材だったが、それがかえって手にしっかりと張り付いた。窓の高さは丁度よかった。
 つまり、手を伸ばしたときの腰までの長さに、ちょうどよくはまっていた。
 窓の外には、風が吹いていた。きっと、この風が、逆立ちになった自分のお尻を撫ぜて、無様な負け姿を運んでくれるに違いない。あの女の元へ。

 腰を高く上げる。獲物に襲いかかる猫のような格好から、かかとを上げ、床を蹴……。

 そのときだった。突然、床と壁が、青くなったかとおもうと、激しいバイブ音が鳴り響いた。

 それが、電話を受け取った携帯の青い光に照らされたのだとわかったとき、由香里の胸は踊った。

 ――勝った……。

 理恵子の方から連絡をしてくることは、想定できたことだった。由香里がこんな姿で見つかれば、当然現場にいた理恵子達にも火の粉は降りかかるのだから。電話でのあのやりとりの後、由香里の決意が本物であると”買いかぶった”のだとすれば……。

 いや。

 それとも、まさか、見ていたのだろうか。由香里が川を渡って、その挙句に何もかも失敗に終わり、逃げ帰ってきたところを。

 由香里は透明なスイミングバッグから、携帯を取り出した――電話をよこした相手は、理恵子ではなかった。そこに表示された名前は……。

 朋ちゃん……?

 どうして。

 朋ちゃんが、こんな遅くに、メールならともかく、電話をしてくることなど、めったに無い。
 受信のボタンを押すことができないまま、バイブは途切れた。

***

 由香里には一種の啓示のように思われた。

 朋ちゃんが、今の状況を打開してくれるかもしれない――。

 向こうから、こちらに話す機会を与えてくれるだなんて。

 だが、由香里は中々ボタンを押せなかった。
 朋ちゃんに縋るという以外の、もうひとつの選択肢――。

 意地を捨て、理恵子に現状を打ち明けて、助けを求めるべきではないだろうか。自分のプライドのために朋ちゃんを巻き込むことが、果たして適切だろうか……。

 あの理恵子のことだ、朋ちゃんが由香里に与したことを知ったら、信じられないほどの執念をもって、朋ちゃんを貶めるに違いない――。
 由香里にしたのと同じような手段を使って。

 だが気づけば由香里は、ボタンを押していた。デジタル式に表示された時刻が、頭にこびり付いていた。電車が終電になってしまえば、おしまいだ。朋ちゃんだって、何時までも起きているわけではないのだ。動かなければ――。

 二度目のコールを待つ必要は無かった。

「……由香里ちゃん?」

 哀しいほどに懐かしい声が、受話器を通して聞こえてきた。

「……朋ちゃん?」

 搾り出すような自分の声を聴いて、しまった、と由香里は思った。
 少し休んで、荒んだ動悸を沈めてから、掛けるべきだった。

 朋ちゃんは、由香里の異変に気づいたようだ。

「由香里ちゃん?……何か、息があがってるみたいだけど、大丈夫?」

「……そうかな。何とも……無いけど……」

 もちろん、こんな嘘はばればれだろう。
 由香里の全身は震え、息は荒く、からからの喉はしゃべる度にひりひりと痛んだ。

「……それより、さっきの電話のことだけど」

 疑われる前に、本題に話を持っていく。朋ちゃんも、無理に追求しようとはしなかった。

「ああ、あれね……。実は、メールのことで話があって……」

――メール?

「おかしな話だけど、あまり驚かないでね。さっきね、私の携帯に、知らない人からメールがあったんだけど……。その内容が……何だか変なの」

「変?」

 ……不吉な予感。

「うーん、変っていうか……。よく分からないっていうか。とにかく、私には意味不明な内容で……」

 そこまで言うと、朋ちゃんは黙り込んでしまった。

 朋ちゃんの元へ送られた、意味不明な内容のメール……。

――それが、わたしと関係あるのだろうか。

 由香里は、違和感を抱いていた。確かに、差出人不明のメールというのは気味が悪いだろうが、そんな理由で、こんな時間に電話してきたというのだろうか。

「……どんな内容なの?」

 朋ちゃんが黙り込んだままなので、由香里が尋ねたが、朋ちゃんの返事は要領を得ないものだった。

「うーん、内容は、まあ、変は変なんだけど、それは別にいいの……。ただね、メールがたぶん、本当は、わたしじゃなくて……由香里ちゃんへのものだと思うの」

「……わたしに?」

 わたしへのメール?

 しかも、朋ちゃんが見て意味が分からないような、奇妙な内容の……。

「……それで、そのメールの内容は?」

 朋ちゃんは再び黙り込んでしまった。

 何かが、おかしい。メールのことだけではない。朋ちゃんの様子自体に、何か違和感を抱いてしまう。
 まるで、由香里に対して、何かを言うのをためらっているような……。

「……さっきの電話は、そのことを伝えるために掛けたの?」

 由香里は決してそんなつもりはなかったのだが、由香里の急いだ気持ちが言葉にきつい空気を漂わせてしまったのだろうか。朋ちゃんは、夜遅くに電話を掛けたことを咎められたように受け取ってしまったらしい。

「ごめんね、本当に、大したこと無いの。こんなことで電話しちゃって、怒ってる?」

「まさか」

 もちろん、そんなことはない。だが――。
 確かに、奇妙ではあった。

「……とにかく、そのメールについては、後で転送するね」

――それじゃあ……。

 と、言ってから、朋ちゃんは黙り込んでしまった。

 やはり、何か伝えたいことがあるのだ――。
 しかし、それを伝えるかどうかのぎりぎりのところで、悩んでいる。

 沈黙が続いた。
 この沈黙が、朋ちゃんの方から断ち切られてしまうことを、由香里は恐れた。

 朋ちゃんは悩んでいる。あることを伝えるべきか、秘密のままにしておくべきか……。

 わたしは、聞くべきなのだろうか。この唯一の親友に、隠さないで打ち明けてと、頼むべきなのだろうか。

 朋ちゃんの、やけに歯切れの悪い受け答え。
 朋ちゃんは、由香里の身に何かが起きていることに、勘付いているのかもしれない。
 先ほどまでの考えが、再び頭をよぎる。今の状況を打ち明けて、助けを求めるべきだろうか。

 気まずい無言の時間はどれほど続いただろうか。

 ……そして、由香里はある決心をした。

「……あの」

 由香里がそういうのと、朋ちゃんが同じ言葉を口にするのと、同時だった。

 思いもよらず、話を切り出すタイミングが重なったことに、二人は一瞬戸惑い、……そしてワンテンポ遅れて、笑った。

由 香里は笑っていた。声を出して。受話器の向こうからも、朋ちゃんの笑う声が聞こえる。

 お互い何かを隠しあっていても、心は通じ合っているのだろうか――。一瞬のことだったが、由香里は今の絶望的な状況や、不吉なメールのことを忘れることができた。

「そちらからどうぞ」

 笑いを堪えながら、由香里は言うと、再び、朋ちゃんに重い気配が漂った。

「……あのね」

 場は一瞬にして、また暗い、不吉な空間へと変貌した。
 朋ちゃんはとうとう、何かを打ち明けようとしている……。
 緊張で、喉がからからだ。

「わたしたちってさ……」

 続きの言葉は、由香里にとって予想だにしないものだった。

「わたしたちって、……親友……だよね?」

***

 さっきの沈黙とは別種の気まずさが、二人の間に流れた。
 親友?

 確かに、そう言った。いきなり、何を言い出すんだろう。

 何か、現状を打破することにつながることを期待していた由香里は、意表をつかれた。

「……当たり前じゃん」

 由香里は呟くように言った。何だか、照れくさい。
 親友だよ、と付け加えた。

 本心だった。

「……それが、わたしに言いたかったこと?」

「……うん」

 向こうも、照れくさそうだった。

「……変なの」

 二人は、また笑った。
 ……ただ、二人ともどこか、涙の混じった笑い声だったような気もする。
 
「……それで、由香里ちゃんは?」

 朋ちゃんは、照れくささを紛らわすように言った。だが、その声に篭った、いくらかの真剣な声音を、由香里は聞き逃さなかった。

「わたしは……」

――わたしは……。

「やっぱいいや。何でもない」

 由香里はそう言った。

 そして、決意が変わらないうちに、こう付け足した。

「それじゃ、また明日ね」

 搾り出すようにして言ったその言葉を、朋ちゃんはどんな気持ちで受け取ったのだろう。
 由香里の、がけっぷちの中で振り絞った勇気を、果たして感じ取っただろうか。

「由香里ちゃん」

 朋ちゃんが、言った。
 朋ちゃんの方も、やはり、搾り出すような、寂しい声音だった。

「わたしたち、親友でしょ。だから、何かつらいことがあったら、隠さないで、いつでも言ってね。わたしは――いつでも、由香里ちゃんの味方だから……だから……、だから……」

「わたしは大丈夫」

 遮るように、由香里は言った。

「心配しないで……。それじゃあ、おやすみ」

 言ってからも、由香里は、受話器をしばらく耳に当てたまま返事を待ったが、朋ちゃんは何も言わなかった。
 通話終了ボタンを押す直前、確かに、朋ちゃんの

「おやすみ」

 という声を聞いた。
 その声は、どこか寂しげだった。

***

 ごめんね。心の中で呟いた。

 朋ちゃんは、由香里の身に何か悪いことが起きている事を察しているに違いない。それが何かは分からないまでも、おそらくはメールの内容から、それを感じ取ったのだ。
 そして、由香里を気遣うために、わざわざメールではなく電話を寄越したのだ。由香里の身に何が起きているのか、教えてほしいと。

 だが――朋ちゃんの思いを知れば知るほど、由香里は朋ちゃんの願いに沿うことはできなかった。

 わたしのことを、こんなに気遣ってくれる親友を、あの女の毒牙の危険に晒すわけにはいかない――。

 由香里は決心していた。沈黙のあと、由香里は確かに、助けを求めることを決意し、話を切り出そうとしていた。
 だが、すんでのところで、朋ちゃんの言葉を聴いて、決意を180度翻した。

 朋ちゃんに助けを求める決意を、朋ちゃんの助けを得ないという決意へと。

 諦めたわけではない。むしろ、その逆だった。
 ここから脱け出し、必ず家に帰る。復讐する。どんな手段を使っても。

 だが……何が出来るというのだろう?

 手に握った携帯が震え、トイレを照らした。

 携帯を開こうとするが、手が震えてうまくいかない。二三度試みて、ようやく成功する。

 由香里は、朋ちゃんに嘘をついた。電話の最後に、大丈夫、と由香里は言った。心配しないで、とも。
 どちらも嘘だ。本当は、このとおりだ。怖くてたまらない。あまりの恐怖に、つぶれてしまいそうだ。

 だけど、負けない――。

 由香里はカーソルを合わせた。メールのタイトルは、無題だった。

――おかしいな。

 転送だったら、題名の頭に「Re」とつくはずなのだが――。

 このメールの主は、分かっている。理恵子だ。一体、どんな内容を、朋ちゃんに送ったのだろうか……。
 いずれにしろ、連絡の前に、このメールを確かめる必要がある。

 しかし、メールの文章によって、由香里のその計画は大きく変わることとなった。

 それは短く、そして奇妙なものだった。

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一発逆転!チャンスタイム

主役:ユカリ
舞台:ロッカーの前
照明:駅の街灯
衣装:203
観客:???
公演:主役次第

※本公演のDVD化は、現在カメラ故障中につき、残念ながら断念せざるを得ません。
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***

 由香里にも、そのメールの内容がすぐに飲み込めたわけではない。だが、メールのある部分に、心当たりがあった。

 ロッカー。それに、駅の街灯。
 それは、スタッフルームにあったものとは違う。

 由香里は廊下に出ていた。

 曲がり角から一番手前の窓から、慎重に、駅の方を除き見る。

 目的のものは、探すまでも無かった。

 駅の前、時計の真下からやや外れたところ。
 線路と駅前の広場の間の大きな段差。コンクリートの壁にぴったり張り付くように、それはあった。
 そして、その青いコインロッカーは、駅前の二つの街灯に左右から照らされていた。

舞台:ロッカーの前。
照明:駅前の街灯。

 ここまでは、間違いなかった。

 由香里の中の、ある予感。それは確実に、現実味を持ち始めていた。
 だが――。その意味を考えると、気が遠くなる。

 由香里は、もう一度、例の場所を伺った。すばやく、必要な情報を目測する。
 ここから、あそこまでの距離は……果てしなく遠い。
 二つの車線を横断して、さらに駅前の広場の真ん中を通らなければならない。
 その距離は、二十メートル程だろうか。
 しかも、広場の両脇に、既に暗くなって無人とはいえ、タバコ屋や喫茶店があった。

 ロッカーの数は、二掛ける四で、八つといったところか。
 衣装:203……。おそらく、二段目の、三列目。

 そのロッカーに、鍵は刺さっていない。
 だが、由香里は見逃さなかった。ロッカーの上に、白い札付きの鍵があるのを。

***

 由香里は、廊下に蹲って、考えた。
 この意味するところは、何だろう――。

 いや、表面的な意味は分かる。
 フザけた文章ではあるが、メールの文章それ自体が表すことは明らかだった。由香里の「衣装」は、駅の前のあのロッカー、203番に入っている――。

 そこまでは分かる。だが、その衣装を、この格好のまま、取りに行けというのだろうか。

 仮にそうだとしても――。

 そんなことをさせる、意図が分からなかった。
 理恵子がこんなメールを送ったということは、由香里の今の状況、つまり、裸のまま閉じ込められているということを知っているということだ。ここから抜け出したければ、取りに行けと――?

 理恵子に聞きたい。由香里をまがりなりにも救いたいのか、それとも、人々の目に晒したいのか。

――ここからあそこまで、誰にも見つからずに行くなんて、無理に決まっているではないか。

 朋ちゃんにメールを送ったのも、不可解だった。
 何故、由香里に直接送らず、朋ちゃんを介する必要があったのか――。

 はっとした。

 そうだ。
 あの女――。

 朋ちゃんを介すること、まさに、それが目的だったのだ。

 あんな照明で照らされたど真ん中に全裸で行くなど、そんなリスクを犯せるはずがない。
 だからこそ、朋ちゃんを介することに意味があるのだ。

 あのメールを見たとき、由香里は自分が裸のままあの場に赴き、衣服を取って逃げ帰る……。そういうシナリオを、想像せざるを得なかった。だが、理恵子はそのほかにもうひとつ、シナリオを与えたのだ。

 そして恐らく、そのシナリオを選ぶことを期待していたに違いない。

 つまり、由香里が朋ちゃんに助けを求めて、この店に服を持ってきてもらうということ。

 だからこそ、朋ちゃんに由香里と接する機会を与えたのだ。

――『公演:主役次第』……。

 だが、何の為に?

 分からない。分からないが、由香里には、理恵子が先ほどの由香里の苦悩を、再び突きつけているように思えた。

 二つの選択肢。

 再び、理恵子の足元に屈するか。

 それとも、プライドのために友達を巻き込むか。

***

 答えは、朋ちゃんとの通話を終えたときに、決めた筈だった。

 だが――。

 トイレでの、激しい電話のやりとり。理恵子が最後に残した脅迫が、生々しい声の記憶を伴って再生された。

――場合によっちゃ、あんただけじゃない。朋子とかいう、あんたにまとわりついてるあの子だって……。

 そのときだった。
 理恵子の捨て台詞に喚起されるように、由香里のある台詞もまた、再生された。

――街だって裸で歩いて見せるわよ!
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