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灰色の手帳 由香里 ―水底から― 第二十八話『遭遇――四つの瞳』

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2013 / 06 / 10  Mon
由香里Ⅰ   
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 よりによって真正面。
 一メートルほどしか離れていない。その女の子は由香里の目を真っ直ぐに見据え、由香里の方もまた、視線を逸らすことができなかった。背の低い、中学生くらいの女の子。童顔だが、真っ直ぐな薄い唇は気の強そうな感じがした。

 力強い眼差し。警戒と嫌悪。

 由香里は体を隠しすらしなかった。両手は体の横で握りこぶしを作って、所在無げにしていた。

 少女の瞳に灯った心の灯。嫌悪。困惑。恐れ。
 怯えているのが、何故か愉快だった。

 地獄からの脱出口、物干し竿に掛けられた衣服を目の前にした興奮が、おかしくしているのだろうか。

 背中の視線が気になった。
 少女のいる細い隙間へ、身を隠したかった。

 プールサイドにも似た心地のコンクリートの土手から、ざらざらした小さな石の突き刺さる、砂地へと足を差し出す。由香里が土手を登りきると、少女は後ずさりした。
 後ずさってしまった後には、お目当ての服が残る。

 由香里の中に尋常ならざるものを感じたに違いない。こんなに暗いというのに、少女の青ざめた顔色がはっきりと分かる。
 由香里は心に余裕を抱き始めていた。

 ごめんね――。

 着々と、距離をつめていく。

 彼女は自分より随分背が低いが、下から見上げられるほうが、却って子供特有の、露骨な嫌悪が際立つ。

 生意気な顔――。

 理恵子にとっての由香里も、この少女のような存在なのだろうか――。
 こちらを批難しているような目に、後ろめたさと共に、開き直りに近い怒りを感じる。

 少女の背中に、例の服が見える。自分の体よりは、一回り小さな服。

 窮屈だろうな。

 手を伸ばした。その瞬間だった。

 女の子が前に進み出た。差し出された腕の下、懐に入り込むと、由香里の胸の少し下、あばらの辺りを、突くように手で押した。

 由香里はよろめいた。

 少女の力は弱弱しかったが、由香里の心を深く抉った。

 肌を触られた。 グロテスクな虫を払うような手つきで。
 まるでゴム人形のような、女の子の指の感触。
 なんて弱弱しくて、それに、清潔なんだろう。

 誰かに肌を触られたのは、十年ぶりのことのように感じる。

 ……胸の前にやった手を、どかすことができなかった。

 そのとき、少女の後ろに影が挿した。

 窓の向こう。いつの間にか、少女とは別の誰かが立っていた。背は低い。カーテンを不安げに掴んだ小さな手。

 丸顔の、あどけない顔をした少年だった。きっと、少女の弟だろう。
 少女は一瞬だけ後ろをさっと振り返ったが、またすぐに由香里に視線を戻す。

 そして、先ほどより更に露骨な嫌悪と軽蔑、威嚇の眼差しで、由香里の目を真っ直ぐ睨んだ。

 由香里はいつの間にか、笑っていた。
 いや、ひょっとしたら、あまりのアンリアルな状況に、ショックで顔が引きつっていただけかもしれない。

 しかし、少なくとも少女から見れば、笑っているように見えたのだろう。

 目いっぱいに見開かれた一重瞼の目をくりくりさせて、少女は異常な裸の女を、まるで品定めするかのごとく、観察しはじめた。

 由香里の体の、大人の女の部分。その上を少女の目が何度も過ぎ去っては、ためらいがちに舞い戻ってくるのを感じて、由香里は初めて羞恥を感じた。
 くすぐったいような、うれしいような羞恥。

 由香里は、少女の背中の少年に目をやった。
 この子は、小学生くらいだろうか。
 やはりその視線は、由香里の陰毛に覆われた性器に注がれていた。

 相手が年下だからだろうか。不思議と、嫌悪感が湧かなかった。

 いや、違う。そんな理由じゃない。

 わたしはくるっているんだ。
 でなければどうして、こんな状況で恥じらいもせずにいられるのだろうか。

 由香里は、自分が息を荒げていることに気がついた。
 むんとした、熱帯のような空気が、肌に張り付いて来る感覚。

 ふと、姉弟の髪が濡れていることに気づいた。
 これくらいの歳なら、男の子の方はこの女の子に洗ってもらっているのかもしれない――。

 男の子の丸い目は、滝が落ちるように真っ直ぐに、由香里の濡れた秘所を見つめていた。

 体の中で、何かが疼き始めた。

 この場所から消えてしまいたい。全身を小さな棘で刺されるような、居心地の悪さ。しかし同時に、心地よい。 この奇妙な気持ちは何なのだろう。

 由香里は戸惑いながらも、硬い表情を崩さなかった。

***

 由香里と少女との間には、透明な壁があった。同じ思春期の少女でありながら、住んでいる世界が違いすぎていた。

 昨日までの由香里は、同じところを住処としていた。だが、今は違う。

 少女の獣を見るようなその眼差し。クラスの嫌いな子を阻む眼差しとか、そういったものとは質が違う。はなから生きている世界が違いすぎて、拒絶としてすら成立しえない、拒絶。

 少女の唇は、どうしてこっちに来るの、と言いたげだった。

 それでも、由香里の中に、はっきりとした羞恥心が湧くことは無かった。
 夜の庭で、ぼうっと全裸で突っ立っている自分が、不思議で仕方がなかった。
 むき出しの恥丘を、隠してみた。右の手の平で、すっぽりと覆う。

 もう片方の手を使って、胸を覆う。もじもじと、身をくねらせてみた。夜の街は静かだった。

 少女の背中の窓に映った自分の姿を見た。まさかそれを察したのだろうか、少女はさっと横に退いた。

 顕になった由香里の体は、夜の闇の中で、卑猥なほどに白かった。乳首も陰毛も隠した姿はどこもかしこも真っ白で、陶器の置物のように見えた。

 足を踏み出すと、少女は再び元のところへ戻った。もう、彼女は後ずさらなかった。鋭い、冷たい目で見上げている。由香里の心の中まで、届くような眼差しだった。

 由香里と少女は、口付けでも交わさんほどの距離まで顔を近づけてにらみ合っていた。由香里の思惑とは裏腹に、少女は一切引かなかった。何のためらいもない、射抜くような視線。由香里をあざけるわけでもなく、怖れるわけでもなく。温度の無い目で、まるで石像のような目で、見上げていた。

 幼い頃、わたしを咎めるとき、母さんがしていたような目。

 いつの間にか、由香里の側が少女の方を怖れていた。

 弟を背に、崇高なほど勇敢な少女。

 由香里は何もすることはできなかった。全身が震えているのを、少女に悟られまいと必死だった。その震えもやがて抑え切れなくなる。

 どうして――。

 そこを退いてよ。少女の脇に、まるで囮の餌のように掲げられた洗濯物。それが最後の希望だというのに、少女は由香里がそれに触れることを阻んでいた。

 由香里はパニックに陥った。嫌だ。再び、あの道を引き返すだなんて。できっこない。
 体を震わせ、怯えることしかできなかった。

 それでも少女は何も物を言わず、問いかけるような眼差しで、涼しい顔で見上げていた。

 少女の吐いた息が、鎖骨を撫でた。

***

 その途端、背中を向けていた。

 弾かれるように、家の隙間から飛び出し、転げ落ちるように土手から川に降りる。足裏が、再び川の水を踏んだ。
 顔をうつむけ、今の自分が誰からも見られていないことを祈りながら、ばしゃばしゃと元の道を引き返す。
 川の水は、こんなにも深かったろうか。
 敗走する由香里の脳裏には、少女の視線や、少女の背中、ガラス越しにこちらを覗く少年の、恐れおののいた表情がこびりついていた。

 いやだ。いやだ。
 走りながら、おずおずと振り返った。

 少女は、川べりまで来て、こちらを睨んでいた。

 もうやめて!

 そう叫びたかった。
 自分がぶよぶよとした、白い肉の塊のように思えた。水をびちゃびちゃと汚く踏み鳴らしながら、お尻を向けてすごすごと逃げ帰る姿。

 あの子は、小さかった。

 自分よりも、二周りも小さい女の子だった――。

 びしゃびしゃと音を立てるたびに、消えてしまいたい、と思う。
 背中に矢を浴びせられているかのようだ。気が狂いそうだった。

 背中の橋を、車が通る音。橋が雷のような、音を立てた。空気が震えた。

 もう、流す涙もない。
 恥ずかしくて、死にそうだった。

 黒い水の中に身を沈めて、小さな石ころにでもなって、沈んでしまいたい……。

 由香里は川の真ん中に跪いた。
 真っ赤な顔を、背中の方に向ける。

 女の子は、川べりまで身を乗り出して、こっちを見ていた。その傍らには、あの男の子。

 もう、やめてよ……っ。

 許して。

 見ないで。

 体に力が入らない。ぺたんと川に浸した丸出しのお尻。あの少女に見られていると思うと持ち上げる気力も失せていく――。
 立ち上がろうとして失敗し、川の中に後ろ手をついた。
 川の水が、由香里の体を撫でながら、過ぎ去っていく。

 もう一度力を込める。冷たいはずの川の水は不思議と生暖かく、その雫が持ち上がったお尻からぽたぽたと垂れ落ちる。
 また走り出した。
 左を見ると、トイレの窓が面した、あの路地が見えた。

 由香里は川を横切るよう向きを変えた。

 あと少し――。

 しかし、全速力で駆けることなど、とてもできない。
 川を踏む水音は、遠い人々を呼び込んでしまうように思えたから、急ぎながらも、音を立てないように慎重に、一歩一歩大またに歩を進める。かかとを川から抜き出す度に、つま先を川の流れに浸すたびに、由香里の心臓は羞恥に縮むのだった。

 前方、彼方からの車の通り過ぎる音に、由香里は俯いていた顔を上げた。路地の向こう側に、街灯にさびしく照らされた街の風景が見える。

 由香里はわずかに進路を変えた。路地の向こうの視線から隠れるように、店の裏側を目指して斜めに渡る。

 とうとう、渡りきった。
 これから自分の背丈の倍以上ある柵を、乗り越えなければならない。

 振り返らなかった。
 立ち止まりもせず、由香里は高い柵に足を掛けた。由香里の体に引っ張られて、柵が大きくたわむ。
 震える足を何とか網に絡ませながら、少しずつ登っていく。

 必死だった。

 脇目も触れず、まるでイモリの様に、四肢を動かして上を目指す。

 ああ、こんなところまで――。

 振り返る勇気は無かった。今振り返っても、少女の姿は遠く、暗く、殆どかすみのようにしか見えない事だろう。それでも由香里は、少女の視線が暗闇を通り抜けて、由香里の背中を捕らえているように思えた。

 胸よりも、またむき出しの股間よりも、背中を見られるのが一番辛かった。
 湯気が立ちそうなほど、頬が熱い。激しい自己嫌悪に蹲る時間は、今はない。
 ところどころ足を踏み外しながら、無我夢中でよじ登った。
 もはや、音がどれだけ響こうがかまわなかった。
 柵の頂上に辿り着いた。後は、トイレの窓に飛び移るだけだが、店の裏手からでは無理がある。どうしても、路地の方へ体を寄せなければならない。慎重に、左のほうへ移動する。路地の向こうに、無人の道路と信号機が見えた。

――お願い、これから数秒の間、誰も通りませんように……。

 由香里は、柵を跨いだ。

 慌てては駄目――。

 震える足を柵の上に慎重に載せた。
 窓は、すぐそこだったが、ここでバランスを崩して落ちてしまうわけにはいかなかった。

 壁から柵へ乗り移るのは簡単だったが、その逆は難しい。

 由香里はしばらく、その場で動けなかった。この高さだ。足がすくむ。

 何気なく、由香里は後ろを振り返った。あの少女は、まだ例の位置に立って、こちらを見ていた。
 十メートルは離れていようというのに……二人の視線が、確かにぴたりと重なった。

 ああ……。お願い。
 もう見逃して――。

 もう、そちらを見ることはできなかった。
 由香里は真っ直ぐ、トイレの窓を睨む。足の震えが収まるのを待つ暇はないらしい。
 意を決して跳んだ由香里の足の裏が、きちんと窓の周りの足場を踏み、しかもバランスを失わずにいれたのは、殆ど奇跡だった。
 前のめりの勢いを利用して、由香里は窓の桟をつかむと、まるで洞穴のように口を開けたままのトイレの窓に、転がり込むように身を投げ込んだ。

***

 窓から差し込む明かりが仄かに照らしている。トイレの床に尻餅をついたまま、由香里は微動だにしなかった。 蹲って、顔を上げることができないばかりか、体を動かすことすらかなわなかった。
 由香里は長い髪で顔を覆って、羞恥に悶えていた。

 ああ、とんでもなく、大胆なことをしてしまった。
 嫌だ!嫌だ……。

 わたし、あの少女の他にも、たくさんの人に見られたのかな。

 分からなかった。今になって振り返ると、由香里は希望にとりつかれていた。
 殆ど周りに気を払うことなどしないまま、夢遊病者のように、闇の中を徘徊したのだ。

 自分が気づいていないだけで、誰かに見られている可能性は十二分にある。
 さっきまでは、それでも良かった。服を手に入れられれば、顔さえばれなければ、一時の恐怖を味わうだけで済む。だが、結局由香里は失敗した。何一つ持ち帰ることなく、再びこの空っぽの空間に帰ってきた。

 頭に残るのは、少女の眼差しだった。

 理恵子の悪意のあるそれとは別種の、純粋な、心からの軽蔑。

 冷たい、火の灯らないあの瞳は、思い出すだけで、堪えられない。
 ひとりの女として、人間として、見下した目。しかもあの子は、自分よりも年下の、まだ年端も行かない女の子なのだ。
 ひょっとしたら、あの子は由香里と同じ学校の後輩ではあるまいか。そんなあり得ない考えが何度も頭に浮かぶ。

 そんなはずは無い。どう見たってあの子は中学生くらいだ。しかしそれでも、あの少女の目が、後輩たちのそれのように思えて仕方が無かった。

 自分より少し年上の大人の体が惜しげもなく晒されているのを見て、少女は、あの弟はどう思っただろう。
 今更になって、乳房や陰毛に覆われた箇所に向けられた、姉弟の視線が蘇る。

 由香里のショックは当然だった。
 他人の好奇の視線に、丸裸の姿を晒したのだから。本当に、たっぷりと、見られてしまった。

 誰もいないトイレで、由香里は秘所を必死に手で隠し、悶えた。
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